『日本語が亡びるとき』

水村美苗日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読了。これも時の本らしくて、図書館では予約がびっしり。一章の、アイオワ大の文学者サマーセミナーのレポートが興味深かった(このプログラムは、田村隆一も参加したやつに違いない)。結論部は盛りあがりました。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
以下余談。
日本人はどうして英語がニガテなんだろうか。
私もニガテなので考えてみたところ、母語である日本語でも、「言葉で意志を伝える」「言葉で主張する」というのが、不得手なんじゃないか?と思った。
それはきっと、ふだん、言葉以外の仕草・表情・態度などにたよって、意志を伝えたり、主張しあったりしているから……言葉よりも、感情や共感に依るところが大きい。だから、いちいち英語に置き換えようとすると、パニックになっちゃう。
こないだベトナム旅行中に会ったオジサンの話で、もう1本スプーンが欲しいとき、「スプーン、どこ?」と言ったら、通じなかったという。「スプーン、ちょうだい(プリーズ)」が正解だと。このように、日本語では、最終目的がぼかされて、あいまいな表現になってることが多い。
今、日本社会があっちこっちで(コミュニケーションに)ゆがみを生じているのは、人々が意志の疎通を図るために、これまでの日本語では「言葉が足らない」状況が増えてきたせいかもしれないですね。